このままの自分ではいけないと、意を決し行動を起こすのであった。笑い声とため息が飽和点に達したとも言えよう。
 先日のブログに書いたやり方で、行った来たのダイヤグラムを組み、ちょい電車に乗ってマイクロ小旅行をしてまいりました。
 近場だし、時間も短いし、まあそんなに楽しいものでもなかったが、かと言って地獄でもなかった。
 というか、本当はその先のダイヤグラムまで組んでたのだが、天気が悪くなってきたから途中で中断してきたのでした(笑)。
 しかしながら、毎朝海辺を散歩しており今日も散歩したのだが、それと同じような感じのものとして捉え、単純に運動不足解消の意味も込め、継続して続けてみるというのもアリかな、などと思ったりした。継続して続けるという日本語はヘンであるが。
 って、これじゃ完全にヒマを持て余してる定年退職者のようだが、私は全然ヒマではない。アニソン・アカデミーのページ週刊SPA!のページを作らねばならぬのである。って全然やってねーけど。



 私が懼れてたのは、虚しい気持ちになることであった。はるばる遠くまで来た挙句、こんなことする必要なかったな、と思いたくないのだ。アイドルやアーチストの追っかけをやっていて、今日は来なくてもよかったな、と感じる瞬間ほど空疎なものはない。それと同じである。
 ま、今日のところは非常に近距離だったので、そんな気分になることはなかった。


つげ義春「ねじ式」より



 この辺りのことは、例えば酒井順子の『観光の哀しみ』という本に詳しく書かれている。「トラベル・ブルー、とでも言うべき感覚」などと表現されている。好きな本です。










 その点で考えると、今日みたく、まず近場から徐々に慣らしていくっていうのは良いやり方なのかな(笑)。

 一方で、『阿房列車』のように鉄道に乗ることだけを目的化するのは、ちょっと違うなあという気持ちもあるんだよね。ちゃんと目的を持ちたい。
 藤井聡太が鉄道を好きなのは、たぶん対局とセットだからなんだよ。対局がないのにただ鉄道に乗ってたら、たとえ藤井聡太でも「アレ?なんかつまんないな」と思ったりするのではないでしょうか。(そうでもないのかな??)
















 例えば、先の酒井順子『観光の哀しみ』だと、著者は「一人旅をすると必ずパチンコ屋さんに行く」とある。
 うむ、こういう何でもいいから、行った先での目的を持ちたいものだ。なーんかアイディアねーかなー。ほんの小っちゃい目的でいいんだよね。
 少し前だったら間違いなく太田和彦よろしく居酒屋巡りだったのだが(昼間から)。無事に、そんな気持ちが(ほぼ)消滅してしまった。
 なんか良いアイディアないだろうか。うまくいったらオナグサミ そんな素敵なアイディア …












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