それにしても昨日の将棋・王座戦最終局の余韻が冷めやらぬのだが。
いみじくも、abemaで解説を務めた佐藤康光九段が、藤井聡太の棋風を「読みの将棋」と称していた。藤井聡太って中盤以降は一旦、どうすれば詰みまでいくか最後まで読むんだよ、たぶん。そして相手が自分の思ってるのと違う手を指したり、自分自身が新たな発見をしたら、そこからまた最後まで読み直すんだよ。それをずっと繰り返すんだよ、たぶん。違うかもしれないけど。
普通の棋士は「その局面の時点において最善と思われる手」を指すんだけど、藤井は「詰みに至る可能性が高い手順の途中において避けられない手」を指してるんだよ。それって同じことじゃん!と思われるかもしれないけど違うんだよ、きっと。少なくとも藤井の中では。
だから桂馬が☖7七に飛ぶのではなく、反対側の☖5七に跳ねたんだよ。詰みに至るストーリーの中で、その手が必要だったんだよ。決して「最善」ではなくても。
結果的に負けたわけだけど、AIの評価値上では☖7七桂を指してればまだ互角だったように思う。藤井は☖5七桂の後、どんな物語を思い描いてたんだろう?AIの読み筋と比較ししてみたいんだけど、そういう事ってどこかの何かでできないのかな??
して私は思うのだが、藤井聡太はあまり先のことまで考えずに「その局面の時点において最善と思われる手」を指す方に少しシフトした方が、勝率がさらに上がるのではないだろうか(笑)。だって相手は自分の思った通りになんか指さないんだから。
まあぶっちゃけ昨日の負け惜しみなんだけどね(笑)。どうでしょう、この考えは?ダメでしょうか?(←きっとダメです)
