昨夜録画してたNHK MUSIC SPECIAL 松田聖子 マイ・ベスト・SEIKO なる番組を視聴する。NHKなので、紅白歌合戦と、それとレッツゴーヤングからの映像が多かった。私は鈴木ヒロミツが司会の頃からレッツゴーヤングはずっと見ており、というか、たぶん第1回放送の時からずっと見てたのだが、なにぶん日曜日の夕方の放送だったのでご多分に漏れず私も私なりに憂鬱な時間帯だったので、というか、当時は致し方なかったのだろうが、当時はものすごいNHK臭のする番組だったので、そんなに良い思い出はないのであるが、それでも昨夜の放送は胸を打たれるものがあった。
結局、松田聖子って、いつ泣き出すか分からないような「危うさ」こそが最大の魅力だったように思う。アーティスティックな意味において何をしでかすか分からないという意味で、ジョン・レノンに似ていると私は考える。
一方、昨夜録画してたベストヒットUSAでファン・ミーティングの模様を拝見すると、岡村靖幸が、’80年代の音楽はノーテンキだったのに何故’90年代は内省的になったのか、という疑問を投げかけてるのが実に印象的であった。そんな事おめー自身がイチバン詳しいだろ!と思わんでもないが、岡村靖幸、真面目に疑問をぶつけていた。
今日のこのブログのオチを先に書いてしまうと、昨夜の松田聖子の番組に答えがあるかもしれないよ、ということであるが。。
あらゆるジャンルで大衆向けの文化が発展し、すそ野が広がると、必然的に低年齢化が進む。実年齢的にも精神年齢的にも。なので、取りあえず外面的に華々しくなってゆく。して、そいつが極められると、加えられた圧力は内省的な方向にしか抜けなくなる。ポピュラーミュージックにおいては、それがちょうど’80年代→’90年代だった、という論法で個人的には片づけたいのだが、あんまり深く議論されず次の話題へ移ってしまった。’80年代にももちろん、暗いのもあったんだよ。でも、暗くしててもしょーがねーじゃんっていう空気も確かにあった。でも、それはオイラが若かったから一層そういう空気に染まっちまってたのかどうかが、ちー分からねえんだわさ。てか、やっぱ岡村靖幸こそ犯人の一味だろうがよ、
露骨な日の出
ちなみに天気が良いと、電車はこう見える。当然のことながらヘッドライトが見えにくなってしまい、面白くなくなるのであった。
朝食:

納豆にネギが多すぎるように見えますが・・・

よく混ぜれば、ほら大丈夫。

こわくない、こわくない。
晩飯(笑):
