仕事を退職して5か月が経とうとしているが、曜日の感覚は保ち続けたいと思っている。当たり前と言えば当たり前だが。
前にも同じようなことを書いたけど、月曜の朝覚醒して、仕事行きたくねー、あ、俺行かなくていーんだったわガハハ、という気持ちを失いたくない、新鮮な気持ちでいたい、と願っているのであるが、次第に消失しつつある。当然と言えば当然だが。
もう20年ほど前であろうか、私は一度、平日に仕事を休んで、通勤・通学のため駅から出て来る人々を喫茶店から眺め見るという、まあ悪趣味な行為であるが、仕事を辞めた後どういう気持ちになるか実験というか先取りしてみたことがあったが、大して嬉しくも面白くもなかったな。お前ら大変だないい気味だ、とかいう気持ちになるわけでもなく、こんなことしてていーのかなーとむしろ不安になったりして(笑)。働いているうちだったからそういう気持ちになったってのもあるだろうけど、所詮、自分の抱えている懸案事項は他人には分かってもらえないだろうし、他人の抱えてる懸案事項に自分はハナから関心がないのである。つまり、「辛さ」は共有できないのである。「からさ」じゃないよ「つらさ」だよ。
今じゃそんな駅から出て来る人々を眺め見て楽しもうという、気さえ起らない。
てか、まあコロナの影響てのがまだ残ってるのかもしれないが、ちょいと出掛けてみようという気が自分でも意外なほど薄くなってしまった。
かつては、久住昌之/土山しげる『野武士のグルメ』の世界に憧れ、俺も仕事を退職したらこーゆーふーに歩き回るぞ!と思っていたが、これはまさしくコロナの影響だが、あちこち食べ歩こう、などという気は消滅してしまっている。まあ、たぶん私は一般の人々に比べて食に対する執着のようなものが元々低いのであろうけど。
もっとも、私の読み間違いじゃなかったら、『野武士のグルメ』も巻が進むにつれ、こんな店べつに来なくてもよかったな、こんなところに来て失敗だったな、みたいなパターンの話が増えてきてたように思う。楽しいのは最初のうちだけなのさ、なーんてことまで描き表そうとしてたのだろうか。。
ということで、月曜日の憂鬱を味わうため、かつての出勤時間に自家用車でも運転してかつての職場の方向にでも向かってみようか、とか考えたのだが、結局「あまちゃん」とか「らんまん」を見るのを優先させてしまう。
「あまちゃん」を見るのは実は初めてなのだが、東日本大震災はどう描かれるのだろう。
って、1回目の再放送の時に全話録画してるから、気になったらそれを再生すりゃいーんだけど、敢えて毎日1話ずつ見ている。てか、そこまでするほどの情熱はない(笑)。
早朝散歩。台風が来てるから日の出は拝めないのは分かっているけど、海が見たいのよねえ。
朝食:
トマトに乗ってる大葉は、いつの間にか庭に生えたものだそうです。
晩飯: