先日、雑誌『レコード芸術』が最終号との新聞広告を見て、すわ、大変だ買いに行かねば!と思い急いでズボンを穿いて書店へ自家用車をかっ飛ばしたところ『レコ芸』は置かれておらず、最終号だからすぐ売り切れてしまったのか、大型書店にすら置かれない状況となったから最終になってしまったのかどっちなのかなーとか思いながらもネットに注文してて、実は昨日のうちに配達されてきてたのだが読むヒマがなく、本日、私なりに熟読したのであった。
実際には「最終号」ではなく「休刊」であるが、限りなく同じ意味であろう。いろいろ感慨深く、思い巡らすところはある。クラシック音楽のCDを購入する上において、「レコード芸術推薦」は一つの指標となるものであった。その雑誌がなくなるというのはどういう意味であろうか。もう世の中にはクラシックの名盤なるものは星の数ほどあるのだから新しい録音なんか聴く必要ないから(聴くヒマもねーだろーし)過去の名盤を、まだ見ぬ過去の名演を求めなさいというということなのかなーとか不埒なことを考えたりした。いやしかし、最終号をめくってみて逆に驚いたのが、今でもクラシックの新譜って山ほど出てるのな。言葉悪いけど、掃いて捨てるほどだ。誰が買うつーねん。まあそういうことだろう。こーゆー雑誌も、誰が買うつーねんと。
いや、正直言うと新譜情報なんかより、特定の作曲家や作品にスポットを当てての特集記事が、面白い時はやたら面白かったのだ。手軽にそーゆーのが読める雑誌が減ってしまうというのは、文化の衰退だと思う。そーゆーのは今時、紙媒体じゃないところでちゃんとやってますよーと言うかもしれないが、紙じゃないと「削除」されちゃうだろーが。消えちゃうだろーが。紙で残すのが大事なはずなのである。ま、いーや。
ジム・ジャームッシュ監督の映画『パーマネント・バケーション』をもう1回ちゃんと見たくなり、ネットで中古のブルーレイ(!)を注文してたところ、本日届いたので実際に視聴した。なーんか以前見た時ほど感動しなかった。昔見たときは奇妙な解放感があったんだけど。今回はそういったものがなかった。私は既に解放されているということだろうか。