NHK大河ドラマ『どうする家康』を全話視聴した。ものすごく評判が悪かったようで、なおさら「ああ、見続けてよかったな」と思ってる(笑)。十何年後かぐらいに、実はあの大河はすごかったんじゃないか、と再評価されるんじゃねーの?

 最初のうちから一つ思ってたのは、この作品は視聴者が既にある程度歴史に詳しく、戦国時代を描いた過去の大河ドラマや、さらには関連する「歴史探偵」とか「英雄たちの選択」なんかの番組も見ている、という前提で作られているのではないかということだった。だからそのまま同じじゃいけない、違うことをやらなければならない。違うことをやる必要がある。ヒネらなければならない。そこから出発したんじゃないかなあ。ところが、例えば私なんかは歴史を知らないから、あれ?こんなふうなんだ、と思ったし、歴史を知ってる人はなおさら、あれ?こんなんじゃねーだろ、って思ったんだろうな。出発点としてはよかったけど、もしかしたら少しこだわりすぎてしまったのかもしれない。
 全体の物語をものすごく簡単に一言でいうと、「凡庸な殿様(家康)が愛する人(瀬名)の犠牲を契機に覚醒し、戦国の世を終結させました」ってことになるんだろうけど、この作品のエポックですよね。それなりに説得力がある。発明的ですらあると思う。たとえ史実と違くても。
 だから私なんか、じゃあ実際はどうだったのと、歴史に少し興味を持ったわ(笑)。ほんの少しだけど。てか、本当のところなんて結局は分かんねーんだろうけど。

 まあ良かったと思うよ、松本潤の演技も。「悪くなかった」じゃなくて「良かった」と思うよ。甘いかもしれないけど。だって私は、なにしろ『バンビ~ノ!』を見たとき、上手いなあって思ったもの、松潤の演技を(笑)。

 でもやっぱ、皆が言うような難点はその通りで。やっぱ第1話の馬のCGは酷かったね。皆が言ってるけど。よりによって第1話だぜ。まさか最初のうちは多少荒くても徐々に迫力を出していけばいーや、なんて考えたのではなかろうが。
 一番最初こそ一番迫力を出さなきゃならないのだ。007シリーズがオープニングで最高のアクションを提示するように、黒澤明の『用心棒』で最初の方で腕が切り落とされるように、『仁義なき戦い』で最初の方で腕が切り落とされるように、シュワルツェネッガーの『トータル・リコール』で最初の方に目ン玉が飛び出るように、『エイリアン2』で比較的最初の方で腹が盛り上がってくるように、最初が肝心なのだ。それは、ああ同じような凄いシーンがこの後も続くのだな、と思わせ、緊張を保持させるためである。RCのライブが「よォーこそ」から始まるのも同じ原理である。
 これは失敗したね。視聴者から見下されてしまったよ。

 あと、全体のシリーズ構成が主人公の若い頃に話数を割き過ぎてて、皆がよく知っている例えば本能寺の変以降とかにもっと重点を置けばよかったのに、という意見も多かったよう。実際、終盤は一般的な評価も上がってきてたみたいで、もったいないっちゃもったいないと言えるのかな。
 でもこれはしょうがないんだろうな。何でもそうなんだよ。『青天を衝け』も、まああれはコロナ禍とオリンピックの影響で(だっけ?)全体の放送回数が減った影響も大きいんだけど、渋沢栄一がいろんな会社をどんな風なきっかけでどんな風に興していったか、そこを面白おかしく描いてほしかったのに、そういう話は全く一切なかった。明治維新までが長すぎたように思う、私には。『麒麟がくる』だってまさか最終回が本能寺の変で終わるとは思わなかったよ。最終回の2~3話前に本能寺の変をやって、最終回では、たとえ一瞬であっても光秀が天下人になった姿を見たかったよ、私は。(一瞬ですらなかったのかもしれないけど。)昭和53年の『黄金の日日』も、さあここから波乱万丈の物語がいよいよ佳境に入る!というところで終わってるように私には見える。(私の見方が間違ってる可能性は十分ある。)
 大河ドラマに限らず朝ドラだってそうだよ。古関裕而の生涯を描いた『エール』とか、これもコロナ禍で10話分!も放送回数が減ってしまった影響が大きいけど、それにしたって若い頃の話が中心で、いろんな曲をいろんなアイディアで作っていくいう一番視聴者が見たい部分が欠落してしまって、どーでもいいどこにでもあるような娘の結婚の話とか弟の結婚の話に各1週ずつ割かれたことに私は憤慨してしまった。そんな他所のドラマでできることは他所のドラマでやればいい。私だったら、映画『モスラ』の音楽の制作のエピソードと、野村俊夫が古関よりも古賀政男と組んでヒットを飛ばすエピソードに各1週ずつ充当する!(なんちって)
 直近の『らんまん』ですら、戦中・戦後をぼっこり割愛してて、まあそこはヒロインの方が主人公よりむしろ主人公だったし、ある意味まさにその構成こそが美点だったからアレなんだけど、年寄りが本の山に囲まれたあの小さな部屋の中で研究に勤しむ姿が私は見たかった。
 やっぱ若い頃中心になるのはしょうがないんだろうなあ、若い頃の方がいろいろあるし、若い頃がその人を決定づけるから。たとえ家康でも。

 まあ全体を通して見れば、『ニーベルングの指環』のような「輪廻」を基調に、反復と再現を散りばめながら、破滅と前進の物語を理想の実現のドラマへと回収・昇華させることに成功した作品だと思うよ。(なんちって)
 一年間堪能させてもらいました。見てよかったです。

 黒澤明は『椿三十郎』では逆に一番最後に最大の迫力シーンをもってきてるしなあ。最初と最後が肝要ってことで。


 朝食:


 納豆


 ほりゃさー


 晩飯(笑):


 寒くて海なんか見に行ってられっかい、

投稿者

エヌ氏

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)